津田農園と「くりめし弁当」のおはなし 第1回

「くりめし弁当(通称:くりめし)」は、おいしい栗がたくさん入った酢飯に、たくあん、フキ、こんにゃく、タケノコが添えられたシンプルなお弁当。山口県長門市の各所にて40年以上に渡って販売され、愛され続ける “街の定番メニュー” です。今回、ながととは「くりめし弁当」を製造する津田農園さんへ取材を行ない、ご主人の津田民幸さんと奥様の信子さんをインタビューしました。第1回目は、民幸さんに農園の歴史を伺っています!(全3回)

取材/撮影:村尾悦郎

 

「生き残るにはそれしかない!」

▲津田民幸さん

―農園の創業はいつからですか?

民幸さん
民幸さん

細かい年数は難しいですが、はじまりを考えるとうちの梨の木がもう少しで樹齢90年になりますから、そこが一つの基準になると思います。私の親父が自分で山を拓いて、木を植えて、そこからですね。

 

―90年ですか!?

民幸さん
民幸さん

はい、当時は便利な機械もなく、かなり大変だったようです。大きな切株を抜くのに一週間もかかったという話も聞かされたことがあります。

 

―苦労して開かれた農園なんですね

民幸さん
民幸さん

そして自然が相手ですから、なかなか思うように行かないことも多く、親父の代で一時は農園を中断せざる負えない時期もあって。農園を日置農高(※)・俵山分校の実習園として預かっていただいたこともあります。そのころは地域の学生さんが実習で梨の木の管理をしてくれていました。

(※)旧山口県立日置農業高等学校のこと。現在の山口県立大津緑洋高等学校日置校舎

 

―そういった期間はどのぐらいあったんでしょうか?

民幸さん
民幸さん

4~5年ですね。後年、親父が言っていたのですが、「それがなければ、今の梨の木はなかったんだよ」と。そういった経緯もあります。

 

―その後、どのようにしてご主人が農園を継がれたのでしょうか?

民幸さん
民幸さん

私は7人兄弟の4男だったんですが、中学2年生の時に親父に「お前が跡を取れ」と言われて。その後、定時制高校に通いながら管理にも携わるようになりました。

 

―「跡を取れ」という言葉に、抵抗はありましたか?

民幸さん
民幸さん

そりゃあね。多感な時期で、色々やりたいこともあったし。「やれ」と言われて、やっぱり嫌だと思う気持ちもあるじゃないですか(笑)

 

 

―そうだと思います

民幸さん
民幸さん

「なんで俺がこんなことやらんにゃいけんやろうかな?」と、思うこともありましたけどね。ただ、時代的にはまだまだ「家業は継ぐもの」という考え方もありましたから。

 

―ご自身で「農園を継ぐ」と、気持ちが固まったきっかけはありますか?

民幸さん
民幸さん

高校最後の年に「NHK青年の主張全国コンクール」(※)という番組に出て、仕事について気持ちを述べる機会があったんですよ。それで山口県の代表になれたことが一つのきっかけでしたね。気持ちが固まったというか。

(※)満20歳を迎える若者がそれぞれの「主張」を発表するコンテスト番組。NHK総合やNHKラジオで放送されていた

 

―言葉にすることで「継ぐ」という覚悟が決まったんですね

民幸さん
民幸さん

はい、そうして働き出したんですが、その頃はただ一日中働くだけで。それに対する不満めいたものはあったんです。「自分がやる」と決めたからには親父を超えないといけない。だけど、定時制に通っても、ものづくりがそこまで分かるわけでもない。

 

―その葛藤はどのように突破していきましたか?

民幸さん
民幸さん

少しずつ、よそに出て見て勉強することをしはじめましたね。自分でもやりながら、外にもでて、「自分のやり方が正しいのか」を確認することをはじめたわけです。

 

―本気になったからこそ、外にも目が向きはじめたんですね

民幸さん
民幸さん

はい、そうした中で、私が22歳の時、親父が創立されたばかりの農林省農業者大学校(※)に入ることを勧めてくれ、試験をパスして一期生として入学しました。そこで勉強したことが、今の私に大きく影響しています。

(※)2年以上の実務経験がある農業者を対象に専門的な教育が受けられる教育機関(1968~2011)

 

―学校はどんな環境でしたか?

民幸さん
民幸さん

色々な分野で超一流の先生が来て教えてくれる学校で、「自分がやりたいこと」を持って、求めていけばそれに応えてくれる環境でした。当時、山口県にいるだけでは得られないものだったと思います。

 

―大学で学んだことで、農園に生かしたことはなんですか?

民幸さん
民幸さん

経営的な考え方ですね。それまでの流通の常識だと卸業者などにマージンが入ることで、農家の取り分が減っていて。だから経済効率から言えば、家で作ったものを直接消費者に売ることが一番よかったわけです。

 

 

―それを50年も前に思い至っているというのはすごいんじゃないですか?

民幸さん
民幸さん

どうでしょうね(笑) 確かに今でこそ一般的な考え方ですが、当時はまだまだそういった考えは浸透していなくて。まず、敷地内で直売をはじめて。そこからだんだんと観光農業につなげていきました。

 

―新しい稼ぎ方にチャレンジされたんですね

民幸さん
民幸さん

「新しい」というよりも、「生き残るにはそれしかない!」という思いでした。俵山は梨の産地でもないし、他にも梨を作る農家がたくさんいるわけでもない。「食べていこう」としたら、その結論に私は至ったんです。

 

―学んだことをベースに「俵山でどうするか?」を考えられた結果ということですね

民幸さん
民幸さん

はい。そうして「作る」ことも大変なんですが、このあたりには「台風」という奴もおりまして。

 

―農家の方には大問題ですよね

民幸さん
民幸さん

はい。うちでもその年の8~9割の果物がやられたことがあって。そこから、「自然災害に左右されず、一年中お金が入ってくる仕組みを作りたい」と考えはじめたんです。

 

―「基礎となる収入源」ですか?

民幸さん
民幸さん

はい。家族の中で「日給、月給、ボーナス」のような「定期的にお金が入る」仕組みをまず作る。それをベースに、従来の生産物の販売によってプラスのお金を稼ぐことはできないかなと思ったんです。それが「くりめし弁当」の第一歩だったんです。

 

―なるほど、「くりめし弁当」はそういう思いから誕生したんですね

民幸さん
民幸さん

はい、安定を目指した「一年を通じて生産できる加工商品」です。親父とおふくろをはじめ、家族みんなで協力しながら作りはじめました。

 

>>第2回「くりめし誕生物語」

 

Information

■津田農園

直売所ではくりめし弁当だけでなく、シーズンごとに梨、栗、ぶどう、ベリー類の販売が行なわれているほか、農園ではフルーツ狩りも体験できます。詳細は公式サイトまで。

・住所:山口県長門市俵山1569
・電話番号: 0837-29-0406
・営業時間:9:00~17:00

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