【編集長・村尾より】地域おこし協力隊・退任報告「これからも“地域文字おこし”します!」

(photo by yuku)

こんにちは。山口県長門市の地域おこし協力隊(観光事業担当)で、ローカルメディア「ながとと」の編集長を務める村尾悦郎です。本日(4月30日〔木〕)をもって、私、村尾は3年間の任期を終え、地域おこし協力隊を退任いたします。同時に、活動の一環としてスタートしたこのローカルメディア「ながとと」も、ひとつの区切り(注:終わりではありませんよ!)を迎えます。新型コロナウィルスの影響により、みなさまに直接お話する報告会は開催できませんでしたが、こちらにて「退任報告」をさせていただきます。

 

協力隊になったきっかけ

私は長門市出身の「Uターン型」協力隊です。高校卒業までは長門市内で暮らし、大学進学とともに地元を離れて神奈川県に引っ越しました。大学を卒業してからは東京都で就職し、以来、約10年ほど都内で生活しながら、アニメーターやWebメディア運営といった仕事を経験させていただきました。

そんな私がなぜUターンしようと思ったのか、最大のきっかけは「結婚」です。下関市出身の妻との将来……特に将来生まれてくるであろう子どもの子育て環境を考えると、東京にいることのメリットをあまり感じなくなりました。

そうして「地元に帰りたい」という思いは生まれたのですが、問題は仕事。私が経験した仕事は、山口県ではなかなか活かす機会がないように思えるものでした。東京・有楽町の「ふるさと回帰支援センター」などを通じて情報は集めるけれど、「これだ!」という仕事は見つからず。悩む私にある日、支援センターの山口県ブースの方から一本の電話がかかります。

「村尾さん、長門出身でしたよね? 長門で地域おこし協力隊を募集してるみたいですよ! 考えてみませんか?」

このまま漠然と情報を集めて仕事を探しても、もしかしたら見つからないかもしれない。「だったら『自分の仕事を作る』ために、この機会にチャレンジしてみよう!」と、応募とUターンを決意したのです。

 

協力隊1 年目「模索期」( 2017 年5 月〜2018 年4 月)

晴れて着任した協力隊ですが、1年目はとにかく「模索」の日々でした。長門市の地域おこし協力隊は、市役所に所属しつつも隊員のミッションに合った地域の団体が「受け入れ団体」として席を用意し、活動をサポートしてくれる仕組みになっているのですが、私の活動はその受入団体である長門市観光コンベンション協会(以下、協会とします)との連携からスタートしました。

まず、「長門市の観光」を知るために、協会が管理する観光情報サイト「ななび」の運営に参加させていただきました。前職で培ったスキル(取材・記事制作・Web ページの知識)を活かしつつ取材の日々。この中で地域の方とふれあい、市内のイベントの様子などもひととおり知ることができました。並行して、観光コンベンション協会が運営する観光案内所の案内業務にも携わります。この経験から「元乃隅神社案内マップ」の制作も行なっています。

 

▲「元乃隅神社案内マップ」。現在では、市内観光のレギュラーパンフレットとして定着している

 

また、現在「ナガトリップ」という名称で定期開催されている長門の体験プログラム集のテストイベント「ながとまち旅コレクション」の企画にも参加し、プログラム内容を紹介するリーフレットの制作や情報発信を行ないました。

 

▲「ながとまち旅コレクション」プログラムの様子

 

▲「ながとまち旅コレクション」リーフレット

 

1年目の終わり頃になってくると、「地域おこし協力隊」という特殊な立場にも慣れ、市役所の方や協会のスタッフと良い関係ができてきました。しかし、成果物はいくつかありつつも、協会の事業に頼ったものが多く、自身で打ち立てた企画は特にありませんでした。この頃から私は「協力隊としてこの町に何ができるだろう?」と悩むようになります。

 

協力隊2年目「迷走期」( 2018 年5 月〜2019 年4 月)

2年目、私はとにかく「迷子」でした。

引き続き、「ななび」にも関わりつつ、当時グランドオープンを迎えた道の駅「センザキッチン」に合わせて観光ミニマップ4種類を制作。「観光」という仕事そのものを学ぶために勉強して国家資格である「地域限定旅行業務取扱管理者」を取ったりもしました(3年目にはステップアップして「国内旅行業務取扱管理者」まで取得しています)。

 

▲観光ミニマップ。「仙崎のまちあるき」、「青海島観光」、「東後畑棚田の写真撮影」、「長門の温泉を楽しむ」という4 つのコンセプトに合わせた4 種のマップを制作

 

▲「仙崎のまちあるき」マップの中身

 

しかし、依然として「この町に何ができるだろう?」という自問に答えは出ず、そして「退任後にどんな仕事をするか」は全く定まっていませんでした。協力隊活動の「軸」を早急に定め、同時に退任後の仕事も考えなくてはいけない……考えれば考えるほど深みにはまり、なかなか一歩踏み出すことができずにいました。

覚悟が決まったのは2018年の夏頃です。「ウジウジ悩んでる時間がもったいない! 退任までに自分のすべてを出し切るしかないじゃないか!」と、いいかげん悩むのに飽きた私は、半ばヤケクソ気味に動きはじめました(笑)

1.「地域のためになることをやる」
2.「これまで自分が培ってきた技術を全て盛り込む」
3.「退任後の仕事にもつながる」

「この3条件を全てを満たす企画を作ればいい!」と、いっきに企画書の雛形を書き上げます。その企画こそが、今みなさまにご覧いただいているローカルメディア「ながとと」なのです。

私にとっての「ながとと」のコンセプトはこうでした。

1.「地域のためになることをやる」
→長門の人や生活に焦点を当てた記事を作ることで、市内には地域の魅力の再発見を、市外には新たな長門の楽しみをアピールする

2.「これまで自分が培ってきた技術を全て盛り込む」
→「ながとと」運営にはWeb制作、取材、写真撮影、イラストレーション、冊子編集など、自分が持つ全てのスキルが要求される

3.「退任後の仕事にもつながる」
→上記スキルがすべて盛り込まれた「ながとと」自体が、私が持つ技術をアピールするための「広告」として機能する

 

 

「おもしろいね。でも、企画書をもうちょっと固めようか」

と、市役所の方にも企画のサポートをしていただきつつ、サーバー・ドメインの準備やWebサイトの構築まで、手作りでのサイト制作と記事の準備を約半年行ない、2年目の終盤に「ながとと」のWebサイトがスタートしました。

 

協力隊3年目「成長期」( 2019年5 月〜2020年4 月)

3年目は、とにかく突っ走ります。記事の企画、取材交渉、取材、Web記事制作……この繰り返しにさらにフリーペーパーの編集と配本も加わりました。3年間の中で最も忙しく、常に何かの締め切りに追い立てられる日々でした。

しかし、同時に最も充実した年にもなりました。理由はなんと言っても「人との出会い」です。特に、インタビューでは取材のたびに大きな刺激をいただけました。地域や仕事、家族への思いなど、長門の方々の強い「愛情」を、こうして記事にできたことがなにより嬉しく、ありがたく思っています。取材させていただいた方々に、この場を借りてお礼申し上げます。本当に、本当にありがとうございました。

 

 

フリーペーパーを発行するようになってからは、より私の活動も知っていただけるようになり、市内はもちろん、市外からも「ながととの新しい本ありますか?」と訪ねてきてくださる方が増えてきました。加えて、ありがたいことに近頃では記事制作や写真撮影、冊子の編集などの仕事もいただけるようになってきています。

 

▲長門市の定住促進パンフレット「Nagato Life」の制作にも携わる

 

「この町に何ができるだろう?」

ずっと自問してきたことですが、今振り返ると、こうして「ながとと」を運営し、「地域の方々から発せられた言葉を文字におこす」ことが私ができることだったのです。つまり、“地域を文字におこす”ことこそが、私の「地域おこし」だったのだと、そう思っています。

 

地域おこし協力隊の3 年間で得たもの

私のこれまでの仕事(アニメーター、Web 記事制作など)は、自分の仕事がお客さんの手元に届くところを見たり、直接反応をいただくことがほとんどないものでした。ですが、この3 年間は成果物を直接届け、喜んでいただける機会をたくさんいただきました。「自分の作ったものが誰かの役に立っている」……この実感は、「自分の作りたいもの、やりたいこと」だけをわがままに考えていた私の意識を、「誰かの役に立ちたい」と、大きく変えてくれました。

また、直接の活動ではありませんが、この3 年間で大きく影響を受けたことのひとつが、「我が子の誕生」です。妻と一緒に「守るべき存在」は、時に私に奮い立つ力を与え、時に諫めてくれます。わがままな「独り」ではなく、「家族と一緒に生きたい」という思いを忘れずに、これから暮らしていきたいと思っています。

 

と、ここまでが「地域おこし協力隊」としてのひと区切りで、これからは「ながとと」を含めた私自身の事業のスタートとなります。「ながとと」を引き続き頑張りながら、編集・デザインの仕事を長門でやっていこうと思っています。どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。

 

最後に、共に悩み、支えてくれる妻・光希に、ありがとう。

 

2020年4月30日
村尾悦郎