「仙崎の魚の文化を残したい」大小早川商店のおはなし(前編)

山口県でも屈指の水揚げ高を誇る長門市の仙崎市場(山口県漁協仙崎地方卸売市場)には、日々、さまざまな魚が並びます。大小早川(だいこはやかわ)商店は、この仙崎市場で魚を仕入れ、主に市内で販売するほか、青海島で養殖したふぐの販売も行なっています。ながととでは、そんな大小早川商店の社長である早川修さんにインタビュー。お店の歴史と早川さんご自身のお話、そして「町の魚屋さん」としての思いについて聞かせていただきました。

取材/撮影:村尾悦郎

 

明治から続く魚屋さん

▲早川修さん(有限会社大小早川商店社長)

 

―大小早川商店はどんなお仕事をされているんでしょうか?

早川さん
早川さん

いろいろあるんですが、メインとなるのは市内の旅館やホテル、病院、介護施設、学校給食などへの魚の販売ですね。それから道の駅センザキッチンに店舗の「四代目大小」を構えて、小売りもやっています。

 

―「魚屋さん」って、店舗での小売りの印象がありますが、施設などへの販売もされているんですね

早川さん
早川さん

はい、現代の魚屋さんって、小売りだけじゃなくて裏方でいろんなことをやっていて。ウチの場合は小売りの商店は小さく、その裏方の仕事が大きいようなイメージです。ほかには個人への宅配やお弁当の仕出しなんかもやっています。

 

▲道の駅センザキッチン内にある鮮魚店「四代目 大小」

 

―魚は主に仙崎市場のものを使われているんでしょうか?

早川さん
早川さん

そうです。天候や注文によって他の市場のものを使うこともありますが、主に仙崎市場に揚がる魚と、青海島で養殖しているとらふぐを仕入れて商売しています。

 

▲青海島のきれいな水で育ったとらふぐを使った「とらふぐフルコースセット」。大小早川商店のネットショッピングページでも販売されている

 

―大小早川商店の創業はいつ頃になるんでしょうか?

早川さん
早川さん

初代は僕の義理のひいおじいさんにあたる大津小三郎という人物で、明治の後半に商売をはじめたらしいです。当時は仙崎の北端に市場があり、そこで仕入れた魚を大八車で売り歩いていたらしくて。

 

―明治の頃から続くお店なんですね

早川さん
早川さん

はい。魚の仲買人としての屋号はその「大津小三郎」の頭文字を取って「大小」になっています。二代目は大津角一といって、彼の代の頃に「大津商店」というお店を構えています。

 

▲二代目・大津角一さん

 

―どんなお店だったんでしょうか?

早川さん
早川さん

鮮魚と八百屋が一緒になった、今でいう小さなスーパーマーケットのような形でやっていました。そこに三代目になる僕の親父の早川潔が養子に入り、魚屋の権利を譲渡してもらって「大小早川商店」ができたんです。

 

▲三代目・早川潔さん

 

―そこで「大小早川商店」となるんですね

早川さん
早川さん

そうなんです。親父の代では冬場の漁獲量が少ない時に、ショウサイフグなどの小さいふぐがけっこう揚がることに目を付けて。そのふぐを刺身のパックにして地元のスーパーで売りだしたんです。それがヒットして、事業が広がっていきました。

 

―当時、手軽にふぐが手に入ることが新しかったんでしょうか?

早川さん
早川さん

はい、それまでにないことだったんです。それで自宅に工場を構えて、生産量を確保できるようにして。そしたらそのことをスーパーマーケットチェーンのダイエーさんが聞きつけて、「中・四国のダイエーで流通させませんか?」と話を持ちかけてきたんです。

 

―スケールが大きいですね

早川さん
早川さん

そうなんです。それで、仕事を受けはじめたんですけど、もう大変な量を生産することになって(笑) 毎年冬の時期になると工場はまるで戦場でした。

 

―ふぐのシーズンは冬なんですよね

早川さん
早川さん

はい。それからさらに、地元の旅館やホテルさんたちから「ふぐをウチにも出してくれないか」と話があり、より多くのふぐの注文を受けるようになったので大きい施設が必要になり、現在の工場を建てたわけです。

 

―その工場が建ったのはいつですか?

早川さん
早川さん

1985年頃ですね。僕はその頃にこの仕事をしはじめました。

 

「俺、帰るわ」

 

―早川さんは元々家業を継ぐつもりだったんでしょうか?

早川さん
早川さん

いえ、そんなつもりはなかったんです。僕は大津高校(現在の大津緑洋高校)でラグビーをしていて、大学でも続けたかったんだけど、ある事情からそれができなくなったんです。それで、一浪して関東の大学に入ったんだけど、そこで芝居をはじめちゃって。

 

―演劇をされていたんですか?

早川さん
早川さん

そう、大学にもあまり行かずに演劇にはまって、役者になるべく劇団に入ろうとしてました。学校を中退して、「円(演劇集団 円)」の試験に合格し、そこに行こうと思ってたんです。

 

―では、本当に継ぐつもりは全くなく?

早川さん
早川さん

うん、かけらもなかったです。親父もあまりそういったことは言わなかったしね。彼自身も若い頃は「アナウンサーになりたい」っていう夢があったみたいで、「好きなことをしろ」っていうスタンスでいてくれたんです。

 

―そんな早川さんが家業を継いだのはなぜですか?

早川さん
早川さん

当時、関東で暮らしていたんだけど、冬場の忙しい時期はいつも手伝いに帰ってたんですよ。「劇団に入ろう」って動いてた年も手伝いに帰っていたんですが、おふくろが斜視になってるのに気付いて、検査したら白内障だということが分かったんです。当時、おふくろはまだ47歳だったんだけど。

 

 

―原因は何だったんでしょうか?

早川さん
早川さん

ふぐの刺身を引くのって、真っ白なまな板でやっていて。ずっと働き詰めでふぐを引いてたおふくろはそれで目を悪くしたみたいなんです。

 

―そんなことがあるんですね

早川さん
早川さん

はい。そんなおふくろの姿を見てたら「俺、芝居とかやってる場合じゃないんじゃないか? 間違ってるんじゃないかな?」って思いだして。

 

―道を考え直したんですね

早川さん
早川さん

はい、それで親父に「俺、帰るわ。帰らしてくれぇや」って相談して。親父も「おお、ええよ」って(笑) それで帰ってきたんです。

 

―お父さんはあっさり「いいよ」と?

早川さん
早川さん

うん、でも、これは後から聞いた話だけど、僕が「帰る」って言った時は態度に出さなかったけど、裏ではめちゃめちゃ喜んでたらしいんですよ(笑) 今、僕も親になったからその気持ちはなんとなくわかるんだけど、子どもがそう言ってくれるのは絶対嬉しいもんなんだよね。

 

 

―早川さんが社長になったのはいつですか?

早川さん
早川さん

僕が代表になったのは2004年ですね。親父はその前から半ば引退状態だったんだけど、その時に正式に継ぎました。

 

―お父さんからはどんなことを教わりましたか?

早川さん
早川さん

振り返ってみて「すごいな」と思うのが、彼は僕のやることに関して、応援とまではいかなくても、反対することは全くなくて。いろんな事業をはじめるときも「ええよ、やれぇや」って言って任せてくれていました。

 

▲毎朝の魚の仕入れは、早川さん自ら仙崎市場に出向いて行なっている

 

―一度もぶつかったことはなかったんですか?

早川さん
早川さん

はい。ただ、助言をもらったことがふたつあって。ひとつは「ウチは『魚屋』だから、そこからあまり外れたことはやらないほうがいい」ということ。

 

―「あくまで『魚屋』として仕事をしなさい」と?

早川さん
早川さん

そうです。もうひとつは「一度にたくさんのことはできないから、ひとつひとつやっていきなさい」ということ。当たり前に思えるかもしれないけど、やっぱり商売ってたくさん考えることがあるから、「あれもこれも」ってなりがちなんです。そんな時、「落ち着いて確実にやっていく」ことが本当に大事になってくるんですよね。

 

―仕事における根本の考え方を教わったんですね

早川さん
早川さん

多分、彼はそのことを自分自身にも言い聞かせていたと思います。そして、僕もそのことを今も心がけてますね。……逆に、それしか心がけてないかもしれない(笑)

 

 

後編はこちら!

 

Information

■四代目 大小

・住所:山口県長門市仙崎4297-1
・センザキッチン キッチン棟内
・定休日:第2木曜日及び元旦(8月・祝日は営業)
・営業時間:9:00~18:00(4~10月)/9:00~17:00(11~3月)
※大小早川商店の詳細、インターネット販売に関しては公式サイトをご覧ください

大小早川商店公式サイト
四代目大小公式サイト(道の駅センザキッチン公式サイト内)