“島が好き、人が好き、仕事が好き” 国王が語る、青海島共和国の建国物語 ~前編~

山口県長門市の青海島(おおみじま)。ここには「青海島共和国」という “国” があります。 “国” と言っても自治権を持つ国ではなく、「共和国」という名前の地域団体なのですが、こちらでは13年前に廃校になった旧青海島小学校の校舎を拠点に、地域活動や体験教育の受け入れなどが行なわれています。代表を務めるのは “国王” こと、濱野達男さん。80代を迎えてもなお、体験の講師や島の資源を使った特産物の開発など、地域のために、パワフルに活躍し続けています。今回、ながととではそんな濱野国王にインタビュー。共和国の歴史を中心に、国王の人柄に迫りました。

取材/撮影:村尾悦郎

 

青海島共和国のルーツ

▲青海島共和国の国王(代表)、濱野達男さん

―さっそくですが、建国の経緯から聞かせていただけますか?

濱野国王
濱野国王

2006年に青海島小学校が閉校して、それを活用しようと「青海島共和国」として2007年にスタートしたわけやけど。それも元々の組織があったからスムーズにできたんよ。

 

―元々の組織とはなんですか?

濱野国王
濱野国王

「青海島発展促進協議会」という名前でね。私はそこの代表を26年ぐらいしよったんです。

 

―その協議会の活動内容は、共和国と同じですか?

濱野国王
濱野国王

はい。「青海島発展促進協議会」は島内の3地区(※)が抱える共通の課題を解決していく組織で、青海島小学校の廃校を期に、跡地を拠点に「島を元気にしていこう!」と名前も「青海島共和国」にしたんよ。

(※)3地区:青海島の地区で、大泊(おおとまり)、青海(おおみ)、大日比(おおひび)のことを指す。島には他にも通(かよい)という地区もある

 

―なるほど。「青海島共和国」の歴史は「青海島発展促進協議会」と地続きなんですね。

濱野国王
濱野国王

そうなんです。

 

―では、「青海島発展促進協議会」はどのようにして発足したのでしょうか?

濱野国王
濱野国王

うん。それにはね、40年以上遡って……私が大泊地区の自治会長になったところから話さんにゃいけんけど……ええかいなぁ(笑)?

 

―ぜひ、お願いします。

濱野国王
濱野国王

私はね、昭和50年、38歳で大泊の自治会長になったんです。

 

―38? 「自治会長」って、もっと年配の方がなりますよね?

濱野国王
濱野国王

国王:うん。当時、私の親父が突然病に倒れてね。初めて自治会の総会に出席したら選挙が行なわれて。そこで、いきなり私が会長に選ばれてビックリ仰天してね(笑)

 

―そんなことがあったんですね。

濱野国王
濱野国王

それで、選挙で選ばれて逃げるのも卑怯やと思うて、「やるなら頑張らんにゃな」と奮い立ったわけですよ。……またちょっと余分な話をするけどええかなぁ?

 

―どうぞどうぞ、聞かせてください。

濱野国王
濱野国王

私は家業が造り酒屋やったんやけど、20代後半ごろから、長門のJC(青年会議所)の活動にも参加していてね。活動の中で、東証一部に上場されている「ウシオ電機」会長の牛尾治朗さんという人を知ったんです。牛尾さんは当時の日本青年会議所の会頭をやられていて、のちに経済財政諮問会議の委員にもなる偉い人なんやけど。その人がね、ええことを言われていたんです。

 

―どんなお話ですか?

濱野国王
濱野国王

青年会議所の仕事として「『地域にこんなことをしたらいいだろう』という発想ではなく、『地域住民が何を欲しがっているか』を追及していくことが大事なんだ」と、牛尾さんは言われてたの。

 

―それはどういうことでしょうか?

濱野国王
濱野国王

つまり、「こうしたら喜ばれるんじゃないか」という、ある種上から目線の、自分の発想だけじゃなしに「地域のニーズを徹底的に探して、それに本気で取り組みなさい」ということなんよ。「まことそうやな」と、私も思うてね。

 

―青年会議所だけでなく、地域に関わるいろんな仕事に通じる言葉ですね

濱野国王
濱野国王

そう。だから自治会長になった時にその言葉を思い出したんです。それで、毎年の地区の予算を「こねーしたらええやろう(こうしたらいいだろう)」と、自分だけの考えで押し付けるのではなく、住民のみんなが本当に困っちょることを探して、それを実現しようと思ったの。

 

―牛尾さんの言葉を実践されたんですね。

濱野国王
濱野国王

はい、それで地区の100人ぐらいを集めて総会をやってね。「私はみなさんの要望や思うちょることを実現したいと思うちょるけど、皆さんの意見を聞かせてくれ」って言うたんです。……言うたんやけど……出てこんのですよ。

 

―それはどうしてでしょうか?

濱野国王
濱野国王

地域のみんなが100人も集まって聞いちょるから、

恥ずかしいのとか、「こんなこと言うたら笑われやせんか?」とか思うて、中々言われんかったんでしょう。

 

―なるほど。「公の場」が障害になったんですね。

濱野国王
濱野国王

そう。へて(それで)困ったんやけどね。今度はまた逆の発想で、「押してもダメなら引いてみよう!」の精神でね。「意見が出んやったらこっちから行こう!」と思うたんよ。

 

―住民の方々に直接聞きに回ったということですか?

濱野国王
濱野国王

はい、自治会の中でも10人前後で組まれる「班組織」があってね。班長の家に集まって話し合う場を持ってもろうて、そこに行ったの。

 

―班はいくつぐらいあるんでしょうか?

濱野国王
濱野国王

全部で12班ありましたよ。それぞれに出向いて、みんなでコタツに入りながら話してね。そしたら、いろいろな意見が出たんです。地区全体で145ほどね。

 

―凄い数ですね!

濱野国王
濱野国王

「犬猫に困っちょる」みたいに小さなものから「もっと大きい集会所を作ってくれ」といった大きなものまでね。それで、これを実行していくために班の役員12人と自治会長の私を足した13人で組織を作ったの。

 

―要望を実現するための「実行委員会」みたいなものですか?

濱野国王
濱野国王

そう。書類を作ったり、役所とのやり取りのするために「総務委員会」をまず立ち上げて。次に、建設に関わる要望が多かったから「建設委員会」も作って。そして「文化・スポーツ委員会」も作ってね。145の要望に対して一つずつあたっていったの。

 

▲国王が大泊の自治会長を務めた昭和50~57年の記録簿。全て国王の手書きで記されている