長門市駅周辺にお店を構える「お食事処 味平」は、夕食、または2次会、3次会に地元の “呑み助” が辿り着く場所として地域に愛されるお店です。今回、ながととはそんな味平のマスター、今津さんへのインタビューを敢行。看板メニュー「みそカツチャンポン」のお話はもちろん、お店の歴史やマスターの常連さんへの思いについて伺いました。「みそカツチャンポン」ファンは必見です(後編はこちらをご覧ください)!
取材/撮影:村尾悦郎
味平創業とみそカツチャンポン
―お店を開かれたのはいつですか?

昭和58年、つまり1983年からです。今年で36年になりますね。
―それまではどんなお仕事を経験されたのでしょうか?

僕は水産高校(※)を卒業した後、2年ほど船に乗っていまして。フェリーの一般船員だったんだけど、そこの食堂も少し手伝いながらやっていました。
(※)山口県立水産高等学校のこと。現在の大津緑洋高等学校水産キャンパス
―もともと料理担当の船員さんではなかったんですか?

はい。そこで食堂にも関わったのが料理の世界に入ったきっかけなんですよ。団体のお客さんが入った時なんかに手伝ったりしてね。料理長には優しくしてもらえるし、食堂のマンガもタダで読ませてくれるしで楽しくなっちゃって(笑)
―なるほど(笑)

料理を作って、お客さんに出して、喜んでもらって。そういうのを見て「この世界もいいな」って思ったのがはじまりです。その後、知り合いの紹介で下関の中華料理店に入らせてもらって、本格的にこの道に入りました。
―下関で修行されていたんですね。

そうなんです。さらにその後、四国や宮崎など、いろんなお店を回って、それぞれのいいところを吸収して、26歳で地元に帰ってこのお店を開きました。
―若くして独立されたんですね。

そうですね。今、味平は夜営業が主体の店ですけど、若い時は昼間の営業もやっていて。大津高(※)の学生さんなんかも来ていただいたりしました。僕は学生時代にラグビーをやっていたんだけど、ラグビー部の子供たちにもよく来てもらってましたね。
(※)山口県立大津高等学校のこと。現在の大津緑洋高等学校
―若い子が集まるお店だったんですね。

そうなんです。「カツチャンポン」も彼らとの会話から生まれたメニューなんですよ。

▲味平の看板メニュー「みそカツチャンポン」
―看板メニューの「みそカツチャンポン」ですね。

試合に“勝つ”という縁起を担ぎながらね。彼らの要望に応えて、チャンポンにトンカツを乗せたのがはじまりなんです。
―「麺類+トンカツ」ってかなり珍しいと思うんですが、ゲン担ぎだったとは驚きです。

「チャンポンだけじゃ物足りない!」っていう気持ちがあったんでしょうね。だから、僕が考案したというよりは、彼らの願いから生まれたメニューです(笑)。
―ガッツリ系だから運動部の子には嬉しいですよね。

はい。やっぱりスタミナつけてもらいたいし、僕も応援したい気持ちがあったからね。
―それがずっと続いて、今はこうして看板メニューとして街に定着しているんですね。

はい。「みそカツチャンポン」が誕生してかれこれ30年以上になると思います。
―そんなに前からあるんですか!「味噌味のチャンポン」というのも珍しいですよね。

ラーメンにも味噌味ってあるから、「味噌味のチャンポンもあっていいんじゃないか?」という思いから作ったんですよ。
―器の大きさも、とても印象的です。

▲味平のチャンポンの器は非常に大きい

そう、あの器はインパクトがあるんですよ。お店って、そういった目玉になるメニューが一つ必要なんです。そうすることで通ってもらって、他のメニューも食べてもらえるんですよね(笑)。器の大きさについて、特に店側からは宣伝してはないんですが、口コミでいつの間にか広まってくれて。
―そこは狙いがハマったんですね。

そうです(笑)。やっぱりお客さんを呼ぶ主力の商品は絶対に必要なんです。そのメニューを出し続けていくことで地域に愛されるお店になっていくと思うんですよね。
―それが味平さんの場合は「みそカツチャンポン」だったと。

はい。「みそカツチャンポン」がきっかけでお店に通ってもらって、「今日は違うものを食べてみようかな」と他のメニューも食べてもらえるようになってもらえるようになったら嬉しいです。毎度同じメニューだと飽きますからね(笑)
―チャンポンのほかにも、さまざまなのジャンルのメニューがありますよね。

麺類も定食もあるし、お好み焼きやたこ焼きもあるしね。だから若い人からご年配の方でも色々な方に来ていただけていますね。