お待たせしました! 長門市・仙崎地区「桃屋食堂」のお話を掘り下げる、桃屋オーナー・竹原さんへのインタビュー後編です。今回、いよいよ大津高校ラグビー部をはじめとした長門のスポーツマンと「肉飯」のエピソードをご紹介しますよ。40年以上、街と共に歩んできた竹原さんの思いとは? ぜひ最後までご覧ください!(前編はこちらをご覧ください)
取材/撮影:村尾悦郎
桃屋食堂オーナー・竹原さんインタビュー(後編)
■ラガーマンと肉飯
―肉飯と、大津高のラグビー部とのエピソードも聞かせていただけますか?

そうですね、昔は、平たいスープ皿で作っていたんですが、それで大盛りを食べると、食べる勢いで中身が器からこぼれたりすることもあったんですよ。それで、不満そうにしてた子がいたから「じゃあ、麺の器にしようか」って今のような器になったってこともあります。
―器も昔とは違うんですね。

今はラーメンの器で量が多く見えるけど、実はスープ皿の方が多いんです(笑)
―そうなんですか?

昔から比べると原価率もすごく上がっていますからね。今、スープ皿で大盛を作ると大変なことになりますよ! 肉飯は片栗粉もよく使いますからね。
―トロトロの餡が「これでもか!」っていうほど入っていますよね。ラグビー部の子たちはみんな肉飯を食べていたとか。

大体そうでしたね。だから、ラグビーの子が店に入ってきたらすぐに肉飯を作り始めるんですよ。
―えっ! オーダーも聞かずに?

どんどん作らんと間に合いませんから。顔を見た瞬間にもう作り始めちゃう(笑)
―それはすごい!(笑)

肉の準備だけでも時間がかかるんですよ。開店前に肉の油抜きをしてるんですけど、そこに常連さんがフライングして来ると大変なんです。「もう入っちゃってもいいでしょ? ラーメンでいいから作ってくれない?」って言われて、そしたら後がもう詰まっちゃって(笑)
―そんなこともあるんですか。

大変なんですよ?(笑) でもラグビー部の子はよく食べてましたね。肉飯の大盛を2杯食べる子もいたりして。
―普通サイズでもけっこう量があるのに、大盛を2つも?

今の器と比べたらちょっと小さいから、一つの量は違うんですけど、それでも2杯ですからね。大津のラグビーだけじゃなく、当時の水高(※1)のラグビーの子や、長門高(※2)のバレー部の子もよく来てましたよ。
(※1)県立水産高等学校のこと (※2)学校法人長門高等学校のこと

▲こちらが現在の肉飯(大盛り)。筆者は1杯で完全にお腹いっぱいになった
―そうだったんですね。

あの子らもよく食べてましたね。よくお店で鉢合わせて、バレー部の背の高い子が「お前、のけよ!」とかね。そんな感じでよく “ガッチン” してましたけど(笑)
―お店でそんなマンガみたいなことが起こってたんですね(笑)

いい時代ですよね。スポーツ系の部活で強かったところはかなり通ってくれてました。僕の持論なんですけど、いっぱい食べる子が強かったように思います。
―やっぱりそうですか。

うん。それに、「食べる」っていうこと自体も大事なことなんですが、「食べて強くなる!」っていう気持ちがある子が強くなるんだろうと思います。
―なるほど。

店で食べても、家で食べても同じだとは思うんですが、そういう子は目的意識というか、精神的な面が強いと感じます。
―やっぱり、たくさん食べてくれる子は嬉しいものでしょうか?

嬉しいですね。家庭でもそうかも知れないけど、「嫌いやから」って残されていると、まるで自分が疎外されているような、寂しい気持ちになりますね。作ったものを食べてくれるっていうことは自分を受け入れてくれるっていうことだから。それに対して「嬉しい」って気持ちはありますね。
―桃屋さんと言えば料理の盛りが良いイメージがありますが、それはお客さんにたくさん食べて欲しいという思いが強いからでしょうか?

それはね、昔の癖で多く作ってることもある。でも「食べる」ってことは良いことでもあるけれど、食べ過ぎはやっぱり悪いことでもあるんですね。
―それはどういうことですか?

それこそ昔ラグビーをやっていた子が、ええおじさんになってからウチに来たりするんですけど。胃袋が大きいまんまだからメタボになってたり。そういったことに対しては「たくさん食べるってのも考え物だな」と思ったりしますよ(笑)
―そうかもしれないですね。

だから、食べるにしても太りにくいものでお腹いっぱいにしたほうが良いんじゃないかなって思いますよ。(笑)
■肉飯ファンへのヒントと、料理の“サイン”
―市内に肉飯ファンは多いですよね。自宅で自作している人もいらっしゃるとか。

ああ、聞いたことがあります。全く同じ味にはできないかもしれないけど、そうやってコピーしてもらえるのは嬉しいですね。
―自作する方も「中々あの味は出ない」って言われてました。お家で作ってらっしゃる方に、竹原さんからアドバイスはありますか?

アドバイスはねぇ…ないです(笑)
―ないですか(笑)

はい(笑) そういえば、昔は塩胡椒ベースで作っていたんですけどね、今は塩ダレで作ってます。それを食べた人が「ああ、昔と同じ味じゃ!」って言われたこともある(笑)
―では、味はそれぞれの時代で変わっているんでしょうか?

ラーメンでも何でもそうですが、メニューで味を変えてないものはないですよ。
―かつての桃花園の「思い出の味」といいつつも、当時とは微妙に違うんですね。

でも、面白いなって感じるんですが、例えばその人が作った料理は、どんなものを作っても味の傾向が似ると思うんです。僕はそこに関して、料理にその人 の“サイン” が入っていると思っていて。
―“サイン” ですか。

これは「自分の味が一番だ!」とかそういうものではなくてね。
―その“サイン” があると感じるようになったできごとはありますか?

そうですね…前の桃花園をやめた後、ゴルフ場の食堂で働いていた時期があって。僕が仕込みをやっていた餃子がそこのメニューの中で一番売れていたんですよ。
―そんな時期があったんですね。

そこには長門市内のお客さんも多くて、餃子を食べたお客さんが「これ、桃花園の餃子じゃあや!」って。僕は「よう分かるな!」って思ってね(笑)
―すごいですね。竹原さんの顔も見ずに分かったんですか?

そうなんですよ。「ああ、桃花園の味を覚えてくれてるんだな」って思ってね。そんなことから「どこで料理していても、自分が作ったものには自分の “サイン” が入っちょるから、まあええわ」って思うようになったんです。